だるだるなまず日記

バツイチ独身女の日常覚書、映画ドラマ雑感(凄く良い◎良い○微妙△金返せ×)割とネタバレしてますが、あらすじ説明はしてません。観た人向け。

本を読んで、個人的に衝撃的なことに気付いた

無花果とムーン

 

 

主人公の月夜はもらわれっ子で紫色の瞳の持ち主。義理の兄が死んでしまうというところから始まり、町祭りに訪れた旅人労働者の二人組の少年の片方が、死んだ義兄とそっくりだったので兄が帰って来たと月夜は思う…という粗筋を読んで購入。

長野まゆみの初期のSFファンタジーっぽい雰囲気を期待していたけど、そうと言えばそうで全く違った。

読み始めた最初は、月夜はもしかして猫かなと思ったけど、すぐに高校の同級生達が現れて普通に女子高生だということが判明する。

なんとなく現実みがなくふわふわとしているけど、特に不思議なことはない話とも言える。

面白かったかどうかというと、まあ普通…読んで損した!とも思わないけど、面白かったのかなあ?というような…読書体験としては、そこそこどうでも良い話ではあった。

普通なら捨てていると思うけど、表紙が酒井駒子さんなので残して置こうかな…というくらいの本です。

(最近は、もう二度と読み返す価値がないと思う本は捨てることにしています。売って再度流通させることが正義ではない気がするし、作者も別にうれしくないでしょう)

 

しかし、読み終わって数時間して、鳥肌が立つような衝撃的なことに個人的に気が付きました。

 

つづきは小説のネタバレにも触れているので、大丈夫な人だけ読んでください。

また、「友人の自死」について触れています。

トラウマなどがある方は読まないように、ご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

良いですか?

 

 

 

 

まず、この小説の核心的な部分(と言っても、普通に読んでいたら最初の数ページで誰でも予想がついている事実。作者も別に隠していないと思う)に触れます。

主人公の義兄はアーモンド・アレルギーで一口でもアーモンドを食べると死ぬような発作に襲われます。

それは町中の皆が知っていることで、皆で気を付けていました。

主人公も当然気を付けていましたが、一人でいる時にアーモンドのアイスクリームを食べます。

そこに義兄がやって来て、彼女にキスをします。そして死にます。

2人がキスをするのは初めてで、2人は両想いでしたが、義理の兄弟だったので、そのことを胸に秘めていました。

どちらかと言うと気になるのは、自分にキスして好きな男(しかも兄)が死んでしまった場合の少女の気持ちや、今後の生き方についてだと思うのですが、この小説では、少女が義兄がどうして死んだのか家族にも話せずに苦しむという方が主軸になってしまっています。

少女が家族に真実を話せたところで、君が悪いんじゃないよと言われて、義兄の幽霊とか色々ありつつ、少女は兄の死を受け入れるという感じに終わっています。

でも、そんなものだろうか?

自分の目の前で愛する義兄が死ぬ。自分のせいで。悲しむとかのレベルじゃない話のような気がする。

そして、その苦しみこそが気になるところなんですけど、さらっと夢を見ている内に終わってしまったような気がする。

苦しみからに逃げてしまった。

そんな感じなので、衝撃的な内容だけど、主人公は大丈夫そうだし、読後に何も残らなかった。

 

 

そう思った数時間後に、ハッと気付きました。

 

あの人のことを思い出さなくなってる。

 

私には10年前に自死した友人がいます。

とても大事な友人でした。

家族の次に大事な人で、別れた元夫よりも、ずっと私の人生にとってかけがえのない存在だったと思います。

その人は、精神病的な病を患っていたのですが、亡くなる一週間前から毎日電話をくれていました。

死にたいけど死ねないという内容でした。

マンションのベランダから飛び降りようとしたけど、怖くてできなかった。

薬を飲んだけど死ねなかった。

首を吊りたいけど、ぶらさげられる所がない。

手首を切ろうとしたけど痛くて切れなかった。

その時、私は彼女の住んでいる場所からは新幹線で二時間かかる場所に住んでいました。

すぐに行こうか?と言うと、来てほしくない。会いたくない。と言われる。

勝手に押し掛けることも考えましたが、彼女は少し前まで精神的な理由で入院していたのを知っていたので、嫌がるところに無理に押し掛けるのが、果たして大丈夫なことなのかどうか、素人判断できなくて悩みました。

手紙を出しても良いか?と聞いたら、手紙なら良いと言うので、すぐに何枚も書いた分厚い手紙を送りました。

しかし、その手紙を読むことはなく、彼女は自死に成功してしまいました。

最後に電話で話したのが私だったので、警察から電話がありました。

警察は、どのような手段でどうやって自死したのかを教えてくれました。

私も、自分が自死する時は、その方法にしようと思っています。

何度も失敗した彼女が成功してしまった方法なので、間違いないでしょう。

だから、彼女がどんな方法で亡くなったのかは、誰にも話さないことに決めています。

彼女はかなり年上だったので、いろんなことを教えてもらいました。

今でも、何かに迷った時や、人が困っている時に、彼女に教えてもらったことが役に立つことが色々あります。

私は彼女のことを忘れてはいません。

 

でも、この小説の中で、義兄の友人が自殺だったんじゃないかと言った時、主人公が義兄を殺したのは自分だと言った時、私は彼女のことを反射的には思い出しませんでした。

 

これは凄いことだと思いました。

鳥肌が立ちました。

私はずっと、彼女が亡くなってから、誰かが亡くなったと聞くと彼女を思い出し、自死したという話を聞くと彼女を思い出し、精神的な病気の話を聞くと彼女を思い出していたのです。

ずっとそうでした。

 

でも、10年目の今、彼女のことを反射的に思い出さなくなっていたのです。

 

時が解決するという瞬間を目の当たりにしました。

 

 

追記しておくと、彼女が毎日、私に電話をくれたのは、助けを求めてと言うよりも、私に覚悟を決めておくように教えるためだったと思います。

その数年前、彼女が入院していることを知らなかった私は、電話が通じない(隔週くらいで長電話をする仲でした)ことに半狂乱になり、知人という知人に連絡をしまくり、警察に相談までしてしまったのです。(彼女は一人暮らしでした)

訪問してくれた警察は、もし亡くなっていたら郵便受けから紙が溢れていたりするはずなので、大丈夫だと思いますよと言ってくれました。

それで私は、家族の誰かが郵便物を取っているんだと気付いたので葉書を送り、家族から無事に彼女に手渡され、手紙が返って来ました。

精神的な病での入院でした。

自分が急に連絡がとれなくなったら、この女は半狂乱になって周囲に連絡を取りまくる!ということを、彼女は知っていたから電話をくれていたんだと思います。

彼女の電話には少し奇妙なところがありました。

「死にたい」という話をしている時は、いかにも病人のような感じなのですが、気持ちを引き立てようと「あの映画の続編があるらしいよ!」と彼女の好きな映画の話をすると、「マジで?!」と急に元気に正常な調子になり、でも、すぐにハッと気付いたように病人に戻るんですよ。

だから、私は、彼女は演技をしているんじゃないかという気がしていたし、まさか本当に死んでしまうとは思っていませんでした。

毎日、「映画の続編」や「好きな小説」なんかの話をして、先には楽しいことが色々あるし、死ぬなんて言わないで…遊びに行っても良い?という話をして、ダメ!と断られるのをくり返していました。

彼女が亡くなった時に、友達に、私がもっと上手く引き留めていたら、もしくは、強引に会いに行っていたら、間に合ったんだろうか?と話しました。

「死のうとしている人を、他人がどうにかできると思わない方が良い。君がどうにかできような問題じゃなかったんだよ」と言ってくれました。(ちなみに、その時に、「私なら、もっとできることがあったんじゃないかって思っちゃうなー」と言った人のことは、まだ許してません。憎んでいると言っても過言ではありません。お前のせいで死んだんだって言うようなものなので、残された人間に、こういうことは言わないように、ご注意ください。)

その時に、私は、自分が彼女を助けられたかも知れないと思うなんて、おこがましいんじゃないかと思ったんです。

彼女が最後に毎日電話をくれていたのは、私に助けを求めていたからだと思っていましたが、そうじゃなくて、私のためだったんじゃないかと思いました。

だって私は、彼女と急に連絡が取れなくなったら、半狂乱になる女ですからね。

死ぬ寸前まで、心配をかけてしまったんだとしたら、申し訳ない限りです。

お葬式の時に親族の方と話していて知ったんですが、自死の理由は精神的な病気のせいでの錯乱というよりは、状況的に、覚悟の自死でした。

彼女と同じ立場なら、私も死を考えると思います。

死ぬ時は、彼女と同じ方法で死にます。

もし、何かどうしても耐えられないほどつらいことがあったら、死ねば良いと思うと、とても気が楽になることがあるんです。

いろんなことを教えてくれた彼女が最後に教えてくれたのが、そのことだったと思います。

彼女が自死してしまった、あの時から、私の生死感は変わってしまいました。

 

 

状況的に完全に同じというわけではないですが、死ぬ前に最後に話をしていた人間で、自分は助けられたんじゃないかと思う立場で、この小説を読んだ私は一年前なら確実に、彼女を思い出して苦しくつらくなっていたと思います。

でも、今は、とっさには浮かばない程度には、過去のことになっていたんです。

(でも憎んでる人間のことは忘れていないし、今思い出しても憎悪が吹き上げました。人はやられた恨みは忘れられないものなのでしょうか)

 

時の流れは確かに、(全てではないかも知れないけど)物事を解決してくれるということを、リアルに実感しました。

忘れていたことに傷つくこともありませんでした。

これが、時が流れるということなんですね。

今、ものすごくつらいことも、10年すれば大丈夫になるかも知れません。

10年がんばろうと思います。